伏見城|豊臣秀吉が築き、生涯を終えた地。徳川家康も築城に尽力

伏見城は、1592年に豊臣秀吉によって築かれた。1596年の大地震によって城は倒壊したが、秀吉は再建。秀吉亡き後は、徳川家康によって築城されたという。

豊臣秀吉は1591年に関白の位を譲ると、翌年、観月が綺麗な指月山に「伏見城」を築いた。だが、1596年の大地震によって城は倒壊し、秀吉は現在の桃山御陵がある木幡山に移動して「伏見城」を再建した。

1598年、秀吉は隠居所として利用していた伏見城内で生涯を終えた。その後、関ヶ原の戦いで家康の家臣鳥居元忠が入城したが、西軍に敗退して城は焼失した。

伏見城は1602年に家康によって築城されるも、17年後に廃城。跡地に桃の木が植えられて、桃山と呼ばれるようになったことから、最終的に「伏見桃山城」という名称がつけられた。

現在、城の天守閣がそびえ立つが、耐震基準を満たしていないため中に入ることは禁止されている。


伏見城
住所:京都府京都市伏見区桃山町大蔵45


【文章】EeNa編集部

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