スポーツイベントの運営で鍵を握るのは「楽しさ・達成感・仲間」〜前編〜

今回のゲストは、スポーツイベントの主催やボランティアマネジメントを行う、森村ゆきさん。森村さんは、現在、RunforSmile株式会社と一般社団法人PARACUPで代表を務めるなど、多岐に渡って活躍をされています。株式会社F(エフ)の久保田万美が、森村さんとスポーツイベントの運営、あり方を中心に熱く語り合います。株式会社Fより転送


#5 Fトークゲスト:森村ゆき氏 プロフィール
RunforSmile株式会社代表取締役 一般社団法人PARACUP代表理事

大学卒業後、不動産営業を経て、スポーツに関わる仕事に転身。2009年スポーツイベントの立ち上げやボランティアマネジメントを行うRunforSmile株式会社を起業。東京マラソン第1回目から2015年大会まで、ボランティア運営に携わり、ボランティアセンター長も務める。2004年にホノルルマラソン出場。人生初のフルマラソン完走で味わった感動を、より多くの人と共有したいと、帰国後、友人たちとランニング大会を企画。2005年5月にPARACUP~世界の子どもたちに贈るRUN~を立ち上げる。ただ走るだけではなく、走ることが誰かの力になれば、とチャリティーランニングとして大会で得た収益から運営費を除いたお金を、世界で支援を必要とする子どもたちに毎年贈っている。参加者400人寄付金額100万円ではじまった大会は、累計約5万人が参加、寄付金総額約1億円に。

(今回はZoomでインタビュー)

―マラソン運営、大会ボランディアのサポートを始めたきっかけ
久保田:ゆきさん、お久しぶりです!Facebookでは、相変わらずアクティブで素敵なライフスタイルを拝見していますが、改めて現在の活動状況を教えてください。

森村:マラソン大会の運営と大会を支えるボランティアのサポートをしています。マラソン大会を自分も作りたい、手伝いたい、という人たちが増えてきて、そのお手伝いをしていますが、今はコロナの影響でスポーツイベントのほとんどが中止となって、お手伝いする予定のイベントがなくなり、郊外でのんびりと過ごしています。今後、開催されるのであれば、準備をしていきたいですね。

久保田:ちょっと遡りますが、スポーツやボランティアイベントの運営に関わる仕事を始められたきっかけは何ですか?

森村:スポーツは、大学までバスケットボールをやっていて、卒業後にスポーツで仕事をすることを考えましたが、当時は学校の先生かインストラクター以外はイメージできなかったのですよね。それだと世界が狭過ぎると思い、一般企業で働きました。

ーホノルルマラソンとの出会いが人生を変えた
森村:30歳になる前に、目標にしていた2004年のホノルルマラソンに出場すると、すごく楽しくて何とも言えない感動を味わうことができました。それまでスポーツをやり切ってしまったという感じがあり遠のいていました。でもどこかで、「スポーツには価値があるのに、スポーツで培ってきた価値を、多くの人たちが社会の中で活かしきれていない」と思っていました。マラソンを完走したことで、「頑張って走ったことによって得られた達成感を、多くの人たちに味わってほしい」と思うようになったのです。

久保田:フルマラソン完走の達成感は本当にすごいですよね。実は、私は学生時代にスポーツを本格的にやった経験がないのに、長年に渡ってスポーツブランドにいて・・・(笑)。これではスポーツの素晴らしさを語れないと、あまりスポーツが身近ではない女性に向けてのスポーツイベントを色々企画して実施したり、地方のランニングイベントに参加したり、自分自身もランニング担当になった時に初めてフルマラソンを走りました(確か36歳くらい・・・笑)。確かに人生感が変わる体験でしたね。

森村:当時(東京マラソンが開催される3年前)、マラソン大会と言うと、日本ではいわゆる競技会みたいなものしかなくて、視察に行ってもランパンにランシャツでタイムを競うような人たちばかりでしたが、ホノルルマラソンは日本のマラソンとは全くの別もので、「タイムを気にしないよ」という人たちが走り、近所の人たちがランナーを応援して、「どのような人にも楽しんで走っていい」みたいな大会でしたよね。

久保田:そうですよね!その頃の日本のマラソン大会は7割以上の参加者が男性でファンランナーが参加しにくい雰囲気がありましたけど、ホノルルマラソンは制限時間も年齢制限もなく、老若男女、応援する人も誰しもが楽しめる大会ですよね。

―大会の運営で大事にしているのは「分かち合う」時間
久保田:このホノルルマラソンの出場をきっかけにスポーツの世界に戻ってこられたのですね。

森村:そうなのですよ。2005年に、主催者として初めて「PARACUP」というチャリティーランニング大会を開催しました。ただし、大会を開催するだけでは「参加者が集まらない」と思ったので、頑張って走ったことが、誰かのためになるように、フィリピンの児童養護施設のチャリティーも兼ねた大会にしました。そうすることで、「今まで走ったことがない人も協力してくれるのではないか」と思ったからです。

久保田:素晴らしいアイディアですよね。自分が走る事で、チャリティー活動にも寄与できるマラソン大会であれば、モチベーションもあがるし、賛同者は多いと思います。

森村:またタイミング良く、PARACUPを手伝ってくださった方が、「東京マラソンで事務局員を募集している」と声をかけてくださったので、勉強できる良い機会だと思い飛び込みました。第1回目の2007年から2015年までボランティア運営に関わりました。

久保田:これまでの活動を通じて、手応えを感じていますか?

森村:PARACUPでは、始めの頃はウォーキングありで、ペットとベビーカーも一緒に参加できるようにしていました。大会のコンセプトは「同じ距離と時間を共にすることを分かち合おう!」というもの。多くの参加者が「やりきった」という達成感を得ていると感じることができましたよね。

久保田:ペットやベビーカーも一緒に参加できる大会は画期的でしたよね。チャリティーに関しては、フィリピンの子供たちへの支援をメインにしてきたのですか?

森村:彼らの学費支援を行うことから始めましたが、幾つかのNPO団体と組むことで視野が広がり、世界の子どもたちに向けてチャリティー活動をするようになりました。

2011年に、東北大震災(3月11日)の1ヶ月後の4月10日にもPARACUPを開催したこともあります。自粛ムードが漂っていましたが、「走れなくても、やれることをやろう」というランナーの前向きな雰囲気があったので、世界の子どもたちに追加して被災地への支援も兼ねて開催しました。PARACUPでは東北支援のチャリティーランニング大会を5回ほど行っています。

久保田:大会規模がどんどん大きくなっているのですね。これまで、どうやって多くの人たちの協力を募られたのですか?

森村:PARACUPに関しては、大手企業に頼ることなく手作り感覚で作り上げてきました。大会を始めた頃は、チャリティー団体のメンバーが中心となり、ランニング好きな人たちが「楽しそうだから」と、広報、製作やプロジェクトマネジメントを「ボランティアで協力してみたい」と集まってきてくれました。最近の傾向としては、「自分の思いを形にしていきたい」と、キャリアアップやスキルアップを目的にしている人たちが増えています。年々、SNSの普及によって仲間を集めやすくなっていると感じています。

後編へ続く。


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