94年の歴史に幕!日本のスポーツ文化の象徴「ミズノ淀屋橋店」有終の美へ
ミズノは淀屋橋駅西地区第一種市街地再開発事業に伴い、1927年に本社屋として完成したミズノ淀 屋橋店(大阪市中央区)を、2021 年6 月30 日に閉店する。2025 年秋以降に完成予定の再開発ビル内 に、出店予定だ。
ミズノ淀屋橋店は、後に商業の中心地となる大阪・淀屋橋に、大阪で7 番目の高層ビルとして1927 年に完成した。創業者 水野利八(1884 年~1970 年)は、濃尾地震(1891 年)で被災した水野家 の復興の証として100 尺のビルを建てるという目標を立て、1906 年に水野兄弟商会を創業。 しかしながら、「個人的な責務を果たして安心してはいけない。はるかに大きい社会的な責任(スポー ツ産業の発展)が残っている」と自戒の意味を込め、敢えて98 尺8 寸のビルとした。
ミズノ淀屋橋店は、水野利八の経営思想の象徴として、100 年近くにわたりスポーツ文化の発展と ともに歩んできた。
■創業者 水野利八とスポーツ文化
水野利八は19 歳の時、奉公先の京都で野球の試合を観戦し野球の虜となり、1906 年に弟利三と「水 野兄弟商会」を創業した。スポーツウエアの販売からスタートし、スポーツ用品の製造や野球大 会を主催するなど、スポーツの振興を通じて事業を拡大してきた。さらに、「カッターシャツ」「オ ーバーセーター」「ボストンバッグ」「オランダマフラー」などのネーミングを考案し、スポーツウエ アを日常着として提案するなど、スポーツ文化を普及、発展させてきた。1938 年には品質向上を 目的に本社屋内にセレクト科学研究所(現 グローバル研究開発部)を設立している。
■ミズノ本社屋の変遷
ミズノ淀屋橋店は、1927年から1992年3月31日まで本社屋として機能しました。1992年4月以降 は、直営店として運営している。
・1906年 大阪市北区芝田町 「水野兄弟商会」を創業
・1910年 大阪梅田新道に移転 「美津濃商店」に社名変更
・1913年 大阪市北区蜆橋に移転
・1921年 大阪市中央区北浜に移転
・1927年 大阪淀屋橋に移転(本社屋完成)
・1938年 本社屋内にセレクト科学研究所を設立 ・1956年 本社屋南館増床
・1960年 本社屋中央・南館増床
・1962年 本社屋北館増床
・1979年 東京・大阪両本社制スタート
・1992年 大阪本社移設(大阪市住之江区)に伴い、ミズノ大阪本店(直営店)として運営 ・2018年 ミズノオオサカ茶屋町完成に伴い、ミズノ淀屋橋店に改称
■ミズノ淀屋橋店に関わるエピソード
水野利八のアイデアにより、数多くのトレンドをミズノ淀屋橋店から発信してきた。
・フンドシ広告(懸垂幕)を掲示 ・荷車で配送する時代に、オートバイにリヤカーを取り付けて街を走り配送することで評判を呼ぶ(1919 年)
・大阪で一番速いと言われたエレベーターを取り付け、初めてエレベーターガールが可愛い衣装を着 用(1927年)
・7 階、8 階に大食堂をオープン「ライスカレー」「ホームランジョッキ」が人気を博す(1933 年)
■ミズノ淀屋橋店 歴史的価値について
ミズノ淀屋橋店の設計者は岡部顕則氏で、1927 年当時の最先端の技術とデザインが採用されている。
関東大震災(1923 年)後に建築されたため、建物の強度を高めることを目的に現代の基準よりも短い間隔で梁が入っており、梁が柱と接合する箇所の下部に斜めの補強材「ハンチ」が入れられ、より強度を高める工夫がみられる。
屋上エレベーター室はロマネスクデザイン様式、軒や階段手摺はドイツ表現主義デザインが採用されている。2 階の踊り場には、更紗柄の入った1 枚物の黒大理石(厚さ4.5 センチ)が使用されている。さらに、1 階の階段裾は、下段の幅を広げることにより、高揚感を高めるデザインとなっている。
text by EeNa