真田庵|真田幸村と父・昌幸が、関ヶ原の戦い敗戦後に隠れ住んだ屋敷
真田庵(善名称院)は、江戸時代の寛保元年(1741年)に、真田幸村と父・昌幸親子が隠れ住んでいた屋敷として、大安上人によって創建された。(和歌山県伊都郡九度山町)
1600年関ケ原の戦いで敗戦した西軍の真田幸村と父・昌幸は、徳川家康によって上田領を没収され、高野山に生涯謹慎となる蟄居(ちっきょ)の罰を下された。
しかし、高野山での生活はあまりにも寒く困難だったため、九度山町にある現在の真田庵に移動して住んでいたと言われている。
1611年、昌幸は九度山で生涯を閉じた。
幸村は一度出家したが、豊臣家から派遣された使者との話し合いにより、徳川方との再戦を決意。九度山を脱出して、大阪城へ入った。
真田庵には、六文銭が深く刻まれている。
真田庵(善名称院)
住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413番地
電話:0736-54-2218