小島よしお、ランニングでZAMSTマウスカバーを着けるワケ「呼吸をしやすくてカッコイイ」(前編)



親子に大人気の芸人 小島よしおさん。小島さんは昨年、YouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」を開設すると登録者数が11万人を超え、教育関連の書籍を出版。また、農林水産省のファンバサダー芸人に就任する等、活躍の場が多岐に渡ります。小島さんの趣味はランニングで、ZAMSTマウスカバーを着用して走り込んでいるといいます。前編となる今回、小島さんに、これまで取り組んできたスポーツやZAMSTマウスカバーについてお話をうかがいました。




――小島さん、衣装の水着の色が赤・青・緑とカラフルですね。いつから着用しているのですか?
小島2019年の話になりますが、2020年に東京オリンピック・パラリンピックがあるということで、オリンピックのマークの色に合わせてオーダーメイドで5色の海パン作ろうとしていました。ちょうどその頃に出演したNHKのパラリンピック番組MCの風間俊介君に、「パラリンピックカラーの海パンを作ってみたらどうですか?」と勧められたのがきっかけです。その時に初めてパラリンピックのカラーが赤・青・緑であることを知り、3色の海パン「パラパン」を作って現在も使用しています。

――パラパン、お似合いです。小島さんはたくましい筋肉の持ち主です。これまでのスポーツ経験を教えてもらえますか?
小島:野球です。僕が小学1年生の時に、2つ歳上の兄が地元千葉市の少年野球チームに入ったのをきっかけに、僕もそのチームで野球を始めました。それから高校まで野球を続けましたね。

他には、仲の良い友達がやっていたスイミングと柔道もやりましたし、学校のサッカークラブにも入りましたね(笑)。

――色々なスポーツを経験してきたのですね。
小島:僕は体を動かすことが大好きで、鬼ごっこやドッチボール等も積極的にやっていましたね。

――素晴らしいです。当時から走ることも好きでしたか?
小島:走るのは好きで、クラスのリレーの選手にギリギリでなれるくらいの速さでしたね。

――なるほど。中高の野球部時代に、かなり走り込みをしてきたのではないですか?
小島:そうですね。稲毛高校野球部で、僕のポジションはピッチャーでした。ピッチャーは走るメニューが野手の練習メニューに比べて多く、きつかったですよね。

――どれだけ走り込んでいたのですか?
小島:例えば、10mダッシュ、30mダッシュ、50mダッシュのそれぞれを10本。高校のグランドからマリンスタジアムまで行って帰ってくる10kmのマリンコース。当時、南船橋にあったスキー場ザウスまで行って帰ってくる20kmのスペシャルコース等をやっていましたね。特に、スペシャルコースはきつかったですよね。

――ということは、当時の走り込みが今のベースとなっているのですね?
小島:いや、その時のベースは、今はもうないです(笑)。

――ないのですか(笑)。
小島:はい。高校を卒業以降今から5年前までは、全く走っていなかったですからね。筋トレは続けてきましたけど、走ることに関してはゼロに近かったです。

――野球部時代に筋トレを始めたのですね?
小島:高校2年生の時にトレーナーさんが筋トレのやり方を教えてくれて、初めて筋トレの重要性を知りましたよね。僕は、野球部の中では重いベンチプレスを上げられるようになりました。野球を引退してからも腹筋や背筋等の筋トレだけは続けてきましたよね。

――そうだったのですね。ではなぜ、走りこむようになったのですか?
小島:30歳を過ぎてから新陳代謝が落ちてきて、当時のマネージャーに「体型が普通の人と変わらない」と言われたことが悔しくて、2015年に一念発起してベストボディという大会に出てみました。大会後の打ち上げ時に「鳥取に筋トレの仙人みたいな人がいる」ということを知り、鳥取へ筋トレを教わりに行くようになりました。

――師匠は何を教えてくれましたか?
小島:師匠は「負荷を逃がさずに体を動かすことで、筋肉は発達する」という考えの下、ベンチプレスで腕をただ上げて下げるのではなく、「胸の筋肉もきちんと動かすことで効果的に鍛えることができる」ということを教えてくれました。

僕は筋トレを10年以上やってきたので自信があったのですが、全く筋肉を動かせていなかったので衝撃を受けましたね(笑)。師匠に習い始めた頃は、完璧な動かし方を10だとしたら0.1しかできていなかった訳ですから(笑)。

――具体的にどのようなトレーニングを行ったのですか?
小島:ベンチプレスの重りを軽くして、正しいフォームが身につくまで繰り返しました。すると、それまでよりも良い筋肉がつき始めました。

僕が2007年に「そんなの関係ねぇ!」でブレイクした頃は、筋肉が少ない状態でやっていました。でも、師匠と出会ったことで「そんなの関係ねぇ!」も超パワーアップすることができました(笑)。一振り辺りの風圧が強くなりましたね。



――そのようなエピソードがあったのですね。それからランニングを始めたのですか?
小島:そうなります。2016年に出場した大町アルプスマラソン(長野県大町市)をきっかけに、ランニングを始めました。僕の高校の同級生の叔父さんが大会の実行委員長で、ゲストランナーとして走りました。

――結果はどうでしたか?
小島:これまで沢山のスポーツをやってきたのでマラソンの練習をしなくても「いけるだろう」と思っていましたが、いざ走ってみると全然ダメでした(笑)。完全にマラソンを舐めていたと思います(笑)。タイムは5時間台とボロボロで、走ることに対する体力の貯金がないことを思い知らされましたね。

20kmを越えてから足が徐々に動かなくなってきて、最後の10kmに関しては沿道からの声援に応えられなかったですからね。笑顔で手を振ったりする元気もなかったので、「これは芸人として本当に良くない」と反省しました。

――フルマラソン後にランニングのトレーニングをするようになったのですか?
小島:そうですね。普段からランニングをするようになりました。原田拓さんのマラソンクリニックに一般参加をして走り方を教わり、パーソナルトレーニングもお願いしました。谷川真理さんとテレビのロケで一緒だった時に、沢山アドバイスをいただきましたね。他には、ランニング専用ジムでトレーニングを積み重ねてきましたし、確実に速く走れるようになってきたと思います。



――ストイックですね。小島さん、SNSで頻繁にランニングに関する投稿をしていますね。ZAMSTマウスカバーを着用している投稿も目にしますが、なぜ着けるようになったのですか?
小島:コロナが始まってからランニング時に色々なマスクを使ってきましたが、どれもしっくりきませんでした。お仕事でご一緒する方に「ZAMSTマウスカバーが非常に使いやすい」と教えてもらい、着けて走ってみると楽だったのですよね。

――どの点で楽に感じていますか?
小島:生地が頑丈で軽くて通気性が良く、洗濯をしてもすぐ乾くからですね。ZAMSTマウスカバーは、かなり呼吸をしやすくてカッコイイのでお気に入りです。もうかれこれ1年間も使い続けている必須アイテムですし、走る時に必ず着用しています。

――必ず着用ですか。追い込んで走っていると、息苦しくなると思いますが。
小島:それが、辛い走り込みをしても息苦しくならないのですよね。ZAMSTマウスカバーは、マスクを着用していない時と同じ感覚で走ることができる優れものだと思います。通常のマスクですと、走っている時にずれて息も苦しくなるのですが、ZAMSTマウスカバーは顔にフィットして息もしやすいので何も気にしないで走ることができます。スポーツをする人にとって、本当に理想的なマウスカバーだと思いますね。



――ZAMSTマウスカバーは、素晴らしい機能性を兼ね備えているのですね。新色のグレーも小島さんにお似合いです。
小島:ありがとうございます。グレーもカッコイイですよね。僕は着るウェアの色に合わせて、マウスカバーの色も変えています。色によって気分も変わりますし、これからも着用していこうと思います。

(後編)に続く。


小島 よしお
芸人
1980年沖縄県生まれ。千葉県出身。
千葉県立稲毛高校卒業。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。
2020年3月、農林水産省ファンバサダー芸人就任。
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text and photo by EeNa

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