オスカル草葉(作家)、44歳で始めたフットサルに夢中なワケ「日本で最高齢のプレーヤーになる」
フットサル歴13年。作家のオスカル草葉氏(57歳)は、フットサルについて「初心者でも十分楽しめる競技である」と話す。オスカルさんは、神戸市内で定期的に、個人参加型のフットサル(個サル)を開催している。今回、オスカルさんがフットサルの魅力について熱く語った。
オスカル草葉 氏
1963年 神戸市生まれ
作家 エッセイスト 宝塚歌劇史歴史研究家
日本ペンクラブ会員 日本演劇学会会員
阪南大学国際コミュニケーション学部国際コミュニケーション学科講師
Fリーグ(日本フットサルリーグ)アンバサダー
日本女子フットサルリーグ福井丸岡RUCKアンバサダー
オーダースーツSADA公式アンバサダー
Doronアンダウェアー スペシャルアンバサダー
関西フットサルリーグ一部 リンドバロッサ シニアディレクター
兵庫県フットサルトップリーグ デサフィオアンバサダー
――オスカルさん、どのような経緯で作家になられたのですか?
オスカル:私は小学生の時から本を読んだり物を書いたりするのが得意で、中高時代には演劇部で台本も書いていました。また、ラジオのリスナーとして番組宛にハガキで投稿すると、何度も番組内で読まれていましたね。
――長年に渡り活動をされてきたのですね。
オスカル:それで大学在学中(21歳)の時に、友人が新聞の切り抜きを持ってきてくれました。そこに、NHKの演芸台本コンクールの台本募集が掲載されていたのです。
――台本を書いたのですか?
オスカル:そうですね。もともと落語と漫才を見たり聴いたりするのが好きだったこともあり、台本を生まれて初めて遊び半分な気持ちで書いてみました。すると、なんと入賞していたのです。それから大阪NHKに誘われて、テレビとラジオ用の漫才台本の専属作家としてデビューをしました。NHKでは、漫才作家として26歳頃まで台本を書いていましたね。
――才能を発揮してNHKでデビューとは華々しいです。26歳以降は、どうされたのですか?
オスカル:NHKを離れてから、女性雑誌Hanako-WEST(マガジンハウス)の編集部から誘いがあって、取材記事を書くようになりました。30歳を過ぎると、1番得意である舞台芸術についても色々書くようになりまして、著者として宝塚歌劇に関する本なども出しました。
――日本最高峰の舞台でご活躍をされてきたのですね。
オスカル:ありがとうございます。それで40歳の頃になると、「日本ペンクラブ」に推薦していただいて入ることができました。日本ペンクラブは私にとって夢のような作家の集まりで、初代会長が島崎藤村、川端康成、志賀直哉が歴代の会長を務めていましたからね。以降、私は完全に作家ということで、短文、エッセイや随筆を得意にしています。これまで一度も就職をしたことはなく、現在まで物書きや作家として活動をしています(笑)。
――オスカルさんの今後の作品が非常に楽しみです。続いて本題に入ります。オスカルさんは現在、神戸市内で個サル(個人参加型のフットサル)を運営されています。まず、フットサルを始めるきっかけを教えていただけますか?
オスカル:私が42歳の時に、息子が所属をしていたサッカーチームで親子サッカーをやる機会がありました。それまで私にサッカーの経験がなく、あまりにも上手くできなかったので、ヴィッセル神戸が運営していた「大人のためのサッカー教室」に通うようになりました。
――まずサッカーから始めたのですね。私は小学生の頃からサッカーを続けていますが、上手くなるのはそう簡単なことではないことを十分承知しています。サッカーを42歳から始めて、上達するものなのでしょうか?
オスカル:私は昔から目が悪かったので、スポーツを何もやってきませんでした。でも、とにかく上手になりたかったのですよね。夜に1人公園でドリブル練習などをしている内にボールタッチの感覚が分かるようになり、徐々にサッカーのプレーをできるようになりましたね。
――1人で練習まで。熱過ぎです。フットサルもすぐ始めたのですか?
オスカル:フットサルという名前も時々耳にする程度で、室内でやるミニサッカーぐらいの知識しかありませんでした。「一度ぐらいはフットサルを観ておこう」と思い、Fリーグのプレシーズンマッチ(会場:神戸ワールド記念ホール)に取材申請をしてみました。その試合で、「デウソン神戸」とある選抜チームが対戦していましたね。
なんやこれは!私は生まれて初めて観るフットサルの凄さに、すぐ魅了されてしまいした。それで神戸市内の個人参加型のフットサル(個サル)で、フットサルを始めました。あれは44歳の時でしたね。
――行動力も凄いですね。オスカルさん主催の個サルをいつ始めたのですか?
オスカル:私がブログにフットサルや人生で初めて履いたフットサルシューズ「デスポルチ」の感想を書いていたのを、「デスポルチ」の方が読んでいただいてくれたのですよね。それで、競技者でもないド素人の私にシューズをサポートしてくれるようになりました。
――素晴らしいです。
オスカル:当時、競技者レベルの人たちが「デスポルチ」のシューズを履く程度で、関西に販売店もありませんでした。
「フットサルの普及のために何かをやりたい!デスポルチを広めたい!デスポルチに恩返したい」という想いが強くなり、デスポルチのプレミアム個サルを開催するようになりました。
――どの点がプレミアムなのですか?
オスカル:毎回、参加者の中から1名にデスポルチのフットサルシューズが当たるという点が、プレミアムとなります。デスポルチさんからシューズを提供してもらい、宣伝も兼ねたプレミアム個サルを約7年間続けています。
――メンバーの募集方法を教えてください。
オスカル:Facebookでイベントページを立ち上げて募集をかけていまして、経験者から未経験者までと、多くの人たちが参加しています。
――私も参加してみましたが、皆さん和気あいあいと楽しんでいますよね。参加者からどのような声がありますか?
オスカル:「とにかく楽しい!ずっと続けてほしい!」と言う参加者が多いですね。ということで、これまで150回以上、月に2回約7年間も続けています。
――何をモットーに個サルを開催していますか?
オスカル:基本的に「フットサルを楽しむ」ということを大切にしています。試合での勝ち負けは関係なく、「フットサルを楽しめる方にお越しください」という考えで行っています。ですが、私の個サルはレベルとしては高いと思います。初心者の方が楽しむのは、ちょっと難しいですね(笑)。
――初心者にはハードルが高いのですか?
オスカル:レベルの高い人たちが、優しいプレーをしてくれます。女性も毎回5人程が参加して、女性でも得点を取れるようなプレーを自然と行う人たちが多いですね。
――オスカルさん、2020年は何と言っても新型コロナウイルスの年であったと思います。コロナ禍によって、仕事や生活にどう影響を受けましたか?
オスカル:昨年は緊急事態宣言以降、1ヶ月以上もボールを蹴れなかったので、生活のリズムが崩れてイライラすることもありました。体重も増えましたからね。
――なるほど。自粛期間は辛かったですよね。個サル再開後に感じたことはありましたか?
オスカル:皆さんマスクを着けながらプレーをしていました。久しぶりで体が動かなかったですが、やっぱり「フットサルは素晴らしいスポーツだ」と思いましたね。
――フットサルがオスカルさんのお仕事に役立っている点はありますか?
オスカル:特に役立っていることはないですね。ただ講演で話す機会があり、フットサルについても触れているので、バリェーションが増えましたね。
――素晴らしいです。
オスカル:それと、よく間違えられますが、フットサルは私のビジネスに全くなっていません。Fリーグの初代アンバサダーに選んでいただきましたが、それは完全に名誉職でした。何度も東京や名古屋へFリーグ観戦に行った時も、交通費や宿泊費は全て自腹でしたからね。ですが、「Fリーグを1人でも多くの知ってほしい」という思いから、色んな所へ発信してきました。
――凄まじい情熱を持たれているのですね。
オスカル:ありがとうございます。私が主催するデスポルチ プレミアムフットサルは毎回定員オーバーで大盛況ですが、コート費用とスタッフのアルバイト代を除くと私の手元には数千円しか残りません。それを私は、普段自分が参加している個サルの参加費に使わせていただいています。
他に毎年、チャリティーフットサルイベントを開催していますが、完全に赤字ですからね(笑)。私はフットサルの普及のために、現在の活動を続けていこうと思います。
――これからフットサルを始めたい人へメッセージをお願いします。
オスカル:サッカーは、初心者がゴールを決めることが難しい競技になります。一方、フットサルは上手い人が良いパスを出してくれてゴール前でボールに触ることができればゴールをできるので、初心者でも十分楽しめる競技であると思います。
日本中にフットサルをできる施設が沢山あります。日本最高峰のFリーグなどの試合をとにかく一度見たりしてプレーしたくなったら、個サルの初心者コースなどで始めてほしいですね。
――今後の目標を教えてください。
オスカル:物書きとしては57歳という年齢ではまだ若いので、これからどんどん良い仕事をしていきたいです。
フットサルに関しては、週に2、3回ボールを蹴れていますが、まあ出来る限りボールを蹴り続けていきたいと思います。フットサルは攻守の切り替えの激しいスポーツですが、日本で最高齢のフットサルプレーヤーになることが目標になりますね。
――オスカルさんにとって、フットサルとは何になりますか?
オスカル:生活の一部となります。体が動く限り、続けていこうと思います。 (了)
photo by Osukar Kusaba
text by EeNa (Hidemi Sakuma)