木下稜介が滝川第二×ナイキ×アメリカを経験して伝えたいこと「クリスティアーノ・ロナウドに憧れて」vol.1
2013年、ナイキが実施した世界規模のサッカー・スカウトプロジェクト「ザ・チャンス」で、世界55ヵ国15万人のプレイヤーの中から16人に選ばれた木下稜介さん(26歳)。今回、木下さんにサッカーを始めた頃から振り返ってもらった。
―木下さん、まずサッカーを始めたきっかけを教えてください。
木下:サッカーをやっていた兄に影響を受けて、小学1年の時に僕も始めました。特に、サッカーが好きだから始めた、というわけではなかったですね。
小学生時代は、学校から帰って来て、サッカーボール持って近くの公園で夜までずっと蹴っていました。
―初めて履いたスパイクを覚えていますか?
木下:ミズノのスパイクでしたね。小学生の時に所属していたチームのルールに、「リフティングを30回出来たらスパイク履ける」というものがありました。そのため、かなりリフティングの練習をしていたのを覚えています。30回を達成した日にスパイクを買いに行きましたね。
―プロサッカー選手になることを目指していましたか?
木下:そうですね。中学時代に「プロ選手になりたい」と思いましたね。イルソーレ小野FC(兵庫県)というクラブチームに入り、毎日サッカーの日々でした。チームの特徴は、なんと言ってもドリブルに力を入れていたことでしたね。
中学3年の時に初めて全国大会に出場しましたが、優勝をできなかったので悔しかったですよね。その時の経験と辛い思い出が、「プロになりたい」という気持ちをさらに強くしてくれたと思います。
―憧れの選手はいましたか?
木下:クリスティアーノ・ロナウドに憧れていましたね。彼のプレー動画をよく見て真似していました。シザースというフェイントの練習をほぼ毎日やりましたし、3年間で個人技を徹底的に磨き上げました。
―高校サッカーの名門「滝川第二高校」へ進学した理由を教えてください。
木下:当時、兵庫県の高校サッカーと言えば「滝川第二」でした。全国高校選手権でプレーをする滝二の選手達が格好よく、何の迷いもなく進学を決めましたね。私立の滝二の学費が高かったですが、親のおかげで進学できたので感謝しています。
―滝川第二サッカー部で良い経験を積むことができましたか?
木下:滝二に入って正解だったと思います。偉大な先輩方が作り上げてきた歴史のある滝川第二サッカー部。現在も誇りを持って滝二出身と言えますからね。1年の時は理解できない上下関係に驚きましたけど、、(笑)。
でも、それも含めてサッカーですし、人間性も磨かれました。1年生の時に、高校選手権で日本一なった瞬間を間近で見た時に鳥肌が立ちましたよね。それから「僕もあの舞台に立ちたい」と思いながら毎日練習に励みました。高校の時に、サッカーを1番やっていたと思います。
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次回へ続く。