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木下稜介が滝川第二×ナイキ×アメリカを経験して伝えたいこと「スポーツを通じて世界と日本を繋げていきたい」vol.5

2013年、ナイキが実施した世界規模のサッカー・スカウトプロジェクト「ザ・チャンス」で、世界55ヵ国15万人のプレイヤーの中から16人に選ばれた木下稜介さん(26歳)。プロジェクト後、アメリカの大学でサッカーを続けた木下さんは、選手として結果を残すことに成功した。しかし、サッカーから離れて新たな道に進んだという。木下さんに、その理由について語ってもらった。

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―素晴らしい結果を残しましたね。目標とするプロ選手になることができましたか?

木下:アメリカに渡る前に、「MLSのチームからオファーがなかったらサッカーを引退しよう」と決めていました。しかし結局、MLSのドラフトにかかることはなかったので、プロ選手になることを諦めました。

―非常に厳しい世界なのですね。それで引退をしたのですか?

木下:そうなります。明らかに自分の実力不足でした。それで「違う道でチャレンジしたい」と思い、サッカーを引退して就職する決意をしました。「このままアメリカに残ろう」と考えていましたが、自分が本当にやりたいことが見つからなかったですからね。また、新型コロナの影響によって活動するのが難しくなったので、止むを得ず日本に帰国しました。

―帰国後、就職活動をしたのですか?

木下:そうなります。就職活動をするための自己分析をしている内に、「やりたくないことを仕事にしたくない。自分で何かをやろう」と思うようになりました。またタイミング良く、滝二の同級生の権藤君が「一緒に起業する?」と声をかけてくれたこともあり、2人で新たな道に向かって挑戦することにしました。

―すごい決断力ですね。何を始めたのですか?

木下:「日本にアメリカと同じようなスポーツ環境を作りたい。そのために、まずはアメリカと日本をスポーツで繋いでみよう」と思い、僕が経験したアメリカの大学への留学サポート事業を始めることにしました。アメリカのスポーツ業界の凄さに衝撃を受けたことが本当に大きいですよね。

―アメリカ留学中に、コネクションを作ることができたのですか?

木下:僕は、幸運なことにアメリカでもトップクラスのスポーツ大学の「University of Louisville」を卒業しました。沢山の人と出会っているので、上手く活かしていきたいですね。また、今の日本の高校生に僕が経験したことを伝えていきたいですね。

アメリカのスポーツ市場はまだまだ伸びて、世界一を走り続けるでしょう。世界最高峰の教育+世界最高峰の環境を経験することは、今後の人生においてすごく価値があります。アメリカではスポーツ選手だけではなく、その後のキャリア形成もできるので、「日本の高校生にアメリカの大学についてもっと知ってほしい」と思いますね。

―今後の目標を教えてください。

木下:スポーツを通じて世界と日本を繋げていきたいですね。まだ自分には何もないですが、失うものは何もないのでどんどんチャレンジするのみです。

―プロサッカー選手になるために、何が必要だと思いますか?

木下:プロ選手になるためには、日々の積み重ねしかないと思います。自分に自信を持って、勝ち負けにこだわり、「プロになりたい」という思いがあれば結果はついてくると思います。失敗を恐れず、チャレンジあるのみですね。

―最後に、木下さんにとってサッカーとは何になりますか?

木下:サッカーは、自分を今まで作り上げてきたキャリアの全てとなりますね。プレイヤーを引退しましたが、サッカーで多くの人たちと繋がっていますし、サッカーとは切っても切れない関係だと思います。サッカーがあったからこそ、今の自分があります。  (了)

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