木下稜介が滝川第二×ナイキ×アメリカを経験して伝えたいこと「言葉では伝えられない経験をできた」vol.3
2013年、ナイキが実施した世界規模のサッカー・スカウトプロジェクト「ザ・チャンス」で、世界55ヵ国15万人のプレイヤーの中から16人に選ばれた木下稜介さん(26歳)。木下さんはナイキのプロジェクトを通じて、欧米のプロクラブからオファーをもらうことができたのだろうか?
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―世界で16人に入ったことは、日本人としてものすごく名誉なことです。その後、どのような展開があったのですか?
木下:選ばれた16人で、ビッグクラブへのスカウティングツアーに参加するサッカーチームを結成して、練習と試合をこなしました。アジア人から選ばれたのは僕1人だけで、すごく特殊な集まりだったと思います。
スカウティングツアーは、約2ヶ月間、アメリカ、イタリア、イギリスを移動しながらプレーをして、試合を見に来たスカウト陣からオファーをもらうという企画でしたね。最後の3人に残ることができれば、イギリスのプロ養成施設「ナイキアカデミー」に入ることができます。
ツアーは、ナイキ本社があるアメリカのポートランドから始まりました。このツアーのコンセプトの1つが「一流を味わう」というもので、全ての費用をナイキが支払い、ウェアやスパイクなどあらゆるものがナイキから支給されました。毎日の宿泊先が高級ホテルでしたね。
―周りに外国人しかいない環境で、コミュニケーションを上手く取れましたか?
木下:僕は英語を話せなかったので、ナイキジャパンから通訳の方がずっと付きっきりで帯同してくれましたね。
―どのようなチームと試合をしたのですか?
木下:アメリカU-18代表、メキシコのチーバス、ユヴェントス、マンチェスター・ユナイテッド、ナイキアカデミーと試合をしました。ユヴェントスの施設マンUの施設などでトレーニングをし、トップレベルの選手のプレーを肌で感じることができました。
―最後の3名に入ることができましたか?
木下:結局、最後の3人に入ることはできませんでしたが、世界を体験できたので本当に価値あるものでしたね。英語を理解できないとコミュニケーションを取れないので、チームメイトと上手くいかなく、言葉の壁を感じることもありました。
しかし、ナイキの「ザ・チャンス」を通じて、世界は広く色々なものがあるのだと自分の中での意識が変わりましたね。日本では絶対に経験できない、言葉では伝えられない経験をできたので良かったと思います。
―非常に惜しかったですね。ナイキは世界一のスポーツブランドです。ナイキの凄さはどこにあると思いますか?
木下:ナイキは世界一のスポーツブランドであり、常に最先端を走っているので規格外ですよね。スポーツブランドという枠を超えて、社会や人など、あらゆるものを変えていると思います。
次回へ続く。